No.90
年月 H21.09.24 美咲まま
平成15年9月26日長女美咲が生まれました。もうじき6回目の誕生日がきます。
美咲の誕生を喜んでいた長男は今三年生、美咲の亡くなった一年後に生まれた二男は来年5歳になります。二人とも小さな赤ちゃんだった美咲の遺影に、毎日挨拶をしてから一日を過ごしています。
美咲だけが大きくならない…
今でもその事が悔しくて、やりきれない気持ちを持ってます。
でも、美咲は私たち家族の中で、一番のがんばりやさんでした。美咲の誕生があったから…あの子がいたから、今の私たちは成り立ってます。息子たちの中にも、美咲はちゃんといます。
長男には小さくてかわいい妹
二男には頑張り屋さんのお姉ちゃん
大変な誕生を一生懸命助けてくれた小児科の先生、ナースの皆さんに今でも心から感謝しています。
美咲との時間が私の宝物です。
残された者の悲しみも、十分すぎるほど分かります。だからこそ、しっかりと生きていかなければならない。
短い命でも、彼女は立派に人生を歩んだのだと思います。
いつか私が美咲のところにいくまで、私は前を向いて生きてきます。


No.89
H21.07.17 なるみママ
はじめまして。  なるみママです。
 わが子、也美は5月13日に1740gで生まれました。
合併症は、心室中隔欠損、心房中隔欠損、動脈管開存、グーの手、内反足とあり、生まれた時から呼吸器です。それから、容態が急変することが何度がありましたが、なんとか2ヶ月誕生日を迎えることができました。
次は3ヶ月誕生日を目指して、毎日、頑張ってくれています。
 
 なるみの病気を知らされたのは、妊娠8ヶ月の時でした。何を言われているのか、受け入れられない、受け入れたくない真実、何とか気持ちを前向きに、この子は私たち夫婦を選んで生まれてきてくれるんだから、この子といられる時間を一日一日大切にしよう!いっぱい愛してあげよう!と思うようになりました。でも、なるみを生んでしまう時からこの子の命は短くなってしまう、生むことへの罪悪感、このままずっとおなかの中に入れたら、と思うこともありました。
 出産後、NICUの主治医の先生から、この会のことを教えていただきました。でもこの病気のことを詳しく知ることが怖くて、なかなか開くことができませんでした。そして、一ヶ月の誕生日を向かえ、一生懸命頑張っているなるみを見ていて、なるみに励まされ、何とか病気が治る方法がないのか、やっと18トリソミーと向かい合うことができ、この会に入会させていただきました。皆さんの思いを読ませていただいて、涙し、たくさん励まされています!ありがとうございます。


No.88
もっともっと愛してあげればよかった H21.05.12 新米ママ

私は40歳で結婚し、昨年10月に妊娠とわかりました。私自身は医師という職業を持つため、高齢出産ということもあり、妊娠当初から染色体の異常があるかどうかを気にしていました。順調に大きくなり安定期に入ったかと思われた12週目に、胎児に浮腫(むくみ)があることがわかりました。おそらく染色体異常か心臓などに奇形がある可能性が高いと主治医の先生から言われました。私は、この日以来、お腹の子どものその超音波の映像が焼きつき、夜もうなされるほど悩み、悲しみました。主人にも話しましたが、主人は前向きに、ともかくやれるだけのことをしようと言ってくれていました。ちょうど年末年始にかかっている時期で、主人の実家、私の実家の両親にも事態を説明しました。産科の先生からはむくみが強いので、胎内で死亡する可能性もあるといわれ、年を越して次の受診日までこの子がいるかどうかわからないという不安もつきまとっていました。

年が明けて、16週目に予定していた羊水による染色体検査をしました。結果が2週間後に出るといわれ、不安な気持ちで結果を待ちました。この結果が出るころに、私たち夫婦は
この子をどうするのか、生むのか、今回はあきらめるのかを真剣に考えなければなりませんでした。法律上、母体の生命を守るため、優性保護法で22週目までは配偶者の同意のもと人工妊娠中絶も可能という状況でした。産科の主治医の先生からはそうした選択肢もあることを当初から説明を受けていました。またこれまでの教科書的な予後の説明も受けたり、医師である私は文献などで勉強したりもしました。大多数の見解は、心臓や他の臓器に奇形が多く、そのため出生後1週間の死亡率は50%に及ぶ、これまでは積極的な治療は推奨されてこなかったとのことでした。医師である私は、このようなきわめて予後が不良な子に積極的な治療をするのはかわいそうだと思い、あきらめざるを得ないのか、と考えていました。その一方で医師としてではなく、ふつうの母親としての自分は、胎内で生きているわが子の命を親である私たちがどうこうしようなんて考えられない、できればこの子を見守って行きたいとの気持ちを持っていました。この医師としての「理性」や、語弊がありますが「合理性」の部分と、母親としての素直に純粋にわが子をいとおしいと思う気持ちの間w)「如∋笋郎・陲轡献譽鵐泙亡戮辰討い泙靴拭・・w)w)私たちの夫婦の場合は、この22週目が迫る中、私も主人も、それぞれで、生命の尊厳、わが子としてどう対応するのか、生まれてきたあとどのようなことができるのか、などいろいろな重く難しい問題を考えました。結果として、胎内の子の自然の経過を見る、主人は、「この子に天命を全うさせる」という結論に達しました。

正直に申し上げ、胎内の子の生命を親である自分たちがコントロールするのではなく、自然の経過を見る、ということが私のこころの底の望み(本心)であることがわかりました。この決断をしたことでこころが少し楽になりました。その一方で、私自身は、今回のはじめての妊娠に対して、希望、期待、喜びといったものを何も感じることができなくなりました。せっかく尊い命として宿ってくれたわが子に対して母親として自然にわいてくる深い愛情を感じることを抑えたり、そうした感情を持つことができなくなったりしていました。

その後、私は予想もしなかったのですが、26週目に妊娠高血圧症候群で緊急入院し、30週目で帝王切開で女の子を出産しました。この子はとても小さく、生まれたときは600gほどでした。それでも、わが子を取り上げてくださった産科の主治医の先生や助産師さんのお話では、母体が全身麻酔をしていたにもかかわらず、手足を動かしており、予想よりもはるかによい状態で生まれてこれた、とのことでした。

私たちの子は、生まれてからNICUに入り、人工呼吸器をつけ、胃にチューブも挿入して懸命にがんばりました。私は、帝王切開の全身麻酔からさめたころ、主人が、「(わが子は)生きてるよ」と声をかけてくれたとき、手術後のつらさも吹っ飛ぶほどの大きな喜びと安堵感をはじめて感じました。その数時間後、ストレッチャーに乗り、わが子とはじめて対面したときの感動は忘れることができません。

わが子は、生後2日目に天使になりました。

振り返れば、妊娠途中に、18トリソミーという診断がついた後、私は、「わが子としてのこの子」と正面から向き合ってこなかったことに気がつきました。医師としての仕事も多忙を極め毎日の予定をこなすのが精一杯でありました。胎内の子と直面すれば悲しい現実があり、その悲しみや苦しみ、むなしさを無意識に避けていたのかもしれません、もっとゆっくり母親としての時間をとってあげればよかったと感じています。そして、生まれてくる以前から、この子がお腹にいるときから、母親として、もっともっと愛情を注いであげればよかったと後悔する気持ちがあります。

わが子が生まれ、顔をみた瞬間に、18トリソミーという状態などは飛んでいってしまい、「本当にいとおしい」「こころから愛らしい」という気持ちが湧き上がってきました。
わが子は、生まれた直後から、さぞかし痛かったり苦痛であったであろう人工呼吸器や点滴や、胃のチューブの挿入などにも耐え、お顔も手足もパンパンに腫れて、本当にがんばりました。でもとても穏やかな、まるで笑いかけているような安らかなお顔で、この子は旅立って行きました。
私は、わが子を通して、「生まれてくること」「生きるということ」「五体満足であること」「健康であること」のありがたさを身にしみて学びました。命の大切さ、この世に存在できることがいかに奇跡に近いことかを体で学びました。

だれしも、「存在するだけで価値がある」とある方に教えてもらったことがありました。当時はその意味が実感として理解できていませんでした。わが子を通し、この言葉を実際に体験しました。この子がお腹に存在してくれただけで、私たち夫婦は何にも代え難い喜びを感じ、また生まれてきてくれてからは親としての愛情を実感させてもらいました。

18トリソミーの会の事務局から送付していただいたハンドブックに、臨床心理士の先生が書かれた文章がありました。私はそれをわが子が天使になってから自宅で読みました。

(引用です)
「私たちのこども=18トリソミー」ではなく
「18トリソミーという特徴をもったかけがえのないわが子」
「命に関する選択は合理性を超える分野である」

といったくだりで、私はずいぶん癒されました。

私は、胎内にいるときから、もっともっとこの子を愛してあげればよかった、と思います。いまとなってできることは、この子が生きた証を残してあげたい、ということです。
私たち夫婦は、この子の生きた証を、自費出版したいと考えています。

「18トリソミーの会」に入会させていただいたおかげで、ホームページなどで貴重な情報をいろいろいただき、同じお子様をお持ちのご家族の情報を共有させていただいたことでとても癒されました。深く感謝しております。

長文にもかかわらず、最後までお読みいただきありがとうございました。


No.87
エルの歩み H21.05.11 エルのお父さん
2008年10月2日にエルは帝王切開により生まれてきました。
1682グラムの男の子でした。神の恵みが在るように、名前をつけました。
大学病院で、生まれてから過ごし、自宅に戻ることが出来ましたが、ミルクを管であげるなか、少しでも温かいミルクを飲ませてあげたいと考え、妻と一緒に取り組みました。
呼吸困難になり、大学病院へ行き、何とか回復し、しばらく入院になりました。
12月22日に退院し、クリスマス、2009年を家族と一緒に迎えることが出来ました。
1月7日(水)朝早く、酸素濃度測定装置のスイッチを入れると表示がなく、エルを見ると様子がおかしく、それから大学病院に救急車で運んでもらいました。朝5時50分に死亡が確定しました。
エルの歩みは98日でした、そしてお母さんのおなかの中で命が誕生してから数えてみると約1年間歩んできました。確かに我が家の3番目の子どもとして生まれて来てくれて、嬉しかったです。
そしてエルを通して18トリソミーのこと、そして染色体異常の特徴を持つ子どもが身近にいることを教えられました。
大学病院での医療、医師の方々の医療の業、看護師さん、ソーシャルワ-カー、医学材料を取り扱う業者さん、地域の保健師さん、医療制度などの助けをいただきました。
上のお兄ちゃん、お姉ちゃんも、エルのことを思い出して時々口にします。将来自分の仕事、行き方を考えるときに、エルの与えた影響は少なくないと思います。
命の大切さを何時までも忘れずに歩んで欲しいと願います。親として出来る限りのことをしてあげたいと思いながら、判断が難しいことがありました。例えば、積極的な治療として、心臓疾患の手術が必要か否か。
また利尿剤の投与が本当に良かったのか、痩せていく子どもを見るときに、元気が無い顔の表情を見るときに感じました。エルが召されて4ヶ月が過ぎますが、エルのことを今でも思い返します。


No.86
18トリソミーママたちへ H21.03.20 asuka蕨
私は昨年(2008年)11/5に二人目の子供で18トリソミーの女の子を出産し、生後45日の12/19にわが子を亡くしてしまった母親です。
妊娠してから、つわりが長引き、不安があったものの順調に育っていました。
 しかし妊娠28週目の検診のときクリニックの先生に「心臓の右と左のバランスが少し気になるので一度専門の病院で診てもらってください。」といわれ紹介状を持って総合病院にいくことになりました。
 そこで診てもらって、赤ちゃんの心臓は心室中隔欠損、大動脈縮窄であることが分かりました。
 計画分娩での出産になり、一人目(長男)のときとは違い緊張していましたし、心臓の悪い赤ちゃんなのでとても不安でした。薬を飲み陣痛を少しずつ付けていきました。そして無事に生まれました。

 しかしその後の検査で私の娘は染色体異常の18トリソミーであることが判明しました。娘は、心臓に大きな穴があいてるせいかつらそうに顔をしかめるときがあり、あまり激しく泣くと体によくないため、なかせてはいけないのだと先生から言われていました。いずれ死んでしまう運命の子であると、誰に聞いてもそのようにいわれたし、どこの情報を調べても目に付くのは「短命」「予後が悪い」
そんな言葉ばかり…。
 私はとても自分をせめました。あれがいけなかったのか、それともこれがいけなかったのか…。18トリソミーでもかわいいわが子、かわいいだけにとてもつらい日々。病院の話では、18トリソミーでも今現在18歳まで成長し、そして今も生きているこもいるという話を聞き、私はその唯一の希望の光にしがみつきました。そしてあの子がいずれ死んでしまうと考えるのがとても怖かったので「見た目は元気だし一年は生きてくれるかもしれない、希望を捨てなければ大丈夫」と必死に自分自身にいい聞かせていました。
 
 それから45日後あの子は逝ってしまいました。突然の心臓痙攣(心臓発作)、先生方の手厚い治療もむなしく、最後は「明日香ちゃんは頑張ったのでもう楽にしたあげましょう」そういわれ、私はうなずくしかありませんでした。
 一度もママのおっぱいを直接吸うこともなく、外の世界も見る事もなく、あの子は天国に帰っていきました。短い命、愛しいわが子、なぜなんだろう…。
 
 明日香の死後しばらくは、自分を責める事が多く、なかなかそこから抜け出すことができませんでした。落ち込んでいてもあの子は帰ってこない、むしろこんなママの姿を見たらきっと悲しむだろう、そんなことは言われなくてもわかっている…分かっているのにどうしてもできない…。しばらくそんなことばかり。
 
 それから幾月かがたち、徐々に徐々に少しずつ元気になり(長男がいてくれたのが大きいと思います)最近簡単な仕事に就きました。今まで長男にずっと心配ばかりさせてきていた私でしたので、仕事をすることはとても悩みました。でもこのままでは家にいてもよくないと思ったのです。(あくまで私の場合です。)ひどく落ち込むことも多く、どうしたらいいのかずっと思い悩んできました。おもいきっての就職、今働いています。

 あの子の死を通して今思うこと。それは一生懸命生きるということです。悩んでも落ち込んでもいい。18トリソミーの子を育てた事のあるお母さん、そして身ごもり育てた(例え死産だったとしても)ことのあるお母さんなら命の大切さ、生きることの大切さはよく分かっておられるのではないでしょうか。つらくて悲しくてしょうがない、そう思って苦しんでいるお母さん。元気にならなくても大丈夫ですよ。天国では神様がその子を守っていてくれています。でも生きなくてはいけません。18tの子供たちのひたむきに生きる姿、忘れてはいけません。